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江戸と井戸

ど、は渡の強調。

え列の「え」(江)は平面的拡がり(え列の特徴です)。


い列の「い」(井)は垂直的(い列ですので次元上昇も含みます)。


どちらも水を渡す、ということです。


近代の井戸は、垂直にその場所で昇ります。技術のなかった古代の井戸は「斜め」でしたが、「井=水」を渡す、という意味では合ってます。いつかどこかで、井戸が垂直に出来るテクノロジーを古代の人が予見してたかもしれません。


古来からの水の都といえば、大阪、徳島、岡山、水戸(茨城)、新潟などです。江戸時代に江戸(東京)が加わりました。イメージしやすいのは、つい200年前のこれらの都市は今のフィレンツェみたいな都市でした。今は埋め立てられて幹線となってます。それはそれで道の流れです。


「江=(水平の)水」。


近代としては世界的に見て最長期の平和な時代だった江戸時代。江戸城(今の皇居)を中心に水路が張り巡らされてできました。


ちなみに、戦国時代に終止符を打ち征夷大将軍となった徳川家康が江戸城を築城をし始めた頃の江戸(東京)はまだまだ田舎で、政治・文化の中心はまだまだ京都で、経済の中心はまだまだ大阪でした。ゆっくり時間をかけて江戸(東京)が発展していきます。


海外の人からは「大きな湖」とも呼ばれる、凪(なぎ、風がふかないこと)もあるくらいに穏やかな瀬戸内海が古来より経済的交流の中心でした。


当時は、今でいうところの、大阪、香川、徳島、兵庫、和歌山、愛媛、岡山、広島、山口が瀬戸内海の経済的交流圏です。


ヨーロッパで言えば、地中海です。エジプト、トルコ、ギリシャ、イタリア、スペイン、イスラエル、などなどの国々の政治的・宗教的・文化・経済的な勃興をもって西洋文化が発展しました。


現在の香川県にある屋島や小豆島、兵庫県の淡路島(かつては徳島(阿波)の領有地)などが瀬戸内海の海路の要衝でした。中でも、屋島が江戸時代初期においての要衝でした。


今では考えられませんが、瀬戸内海に江戸時代にもまだ海賊たちがいて、香川のたくさんの山伏たちが槍などを持ち、屋島の山上でかがり火をして見張りをしていました。


小豆島の渕崎では、海賊に荒らされぬよう、迷路の街を作り上げました。今行っても迷路の街です。地下通路もあります。街全体が忍者屋敷です。


海上交通の神様といえば、金比羅宮です。日本一小さな県の香川の西のほうにあります。江戸時代からのお伊勢参りも有名ですが、漁師の方たちは全国的には金比羅詣りです。


また、日本の山の神様は愛媛の大三島にある大山祇神社です。


日本の山の神様が愛媛の瀬戸内海の島として浮かんでて、日本の海の神様が香川の山にあるなんて面白いです。


身体の7割を占めている飲む水は非常に大切です。海上交通が盛んだった古来では舟で渡る道も大切です。


小笠原諸島(東京)、西表島(沖縄)、対馬(長崎)、隠岐(島根)、利尻(北海道)などの離島は今も舟(海路)が天気と相談です。


舟、ふ、は浮、ね、は根。大木の根っ子をくり抜いて、海、川の水路を交通したのが、もともとの舟の姿でした。今のカヤック、カヌーの姿が原始的な舟の姿です。


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