あく、開く、空く、明く、※飽く
かく、掻く、欠く、書く、搔く
さく、咲く、割く、裂く
たく、炊く、焚く
なく、鳴く、泣く
はく、吐く、掃く、※履く
まく、撒く、巻く
やく、焼く、妬く
※らく
わく、沸く
本来・固有の「うおあえい」では「あ列」は真ん中になります。「あ列」は「うお列」(親和的・互換的)と「えい列」(親和的・互換的)の間にあります。
「あ列」の動詞を並べますと、全般的には、「放出」のイメージがつかめるかと思います。
か行の搔く→欠く・書く・描く、については別途、記述しています。
ま行の撒くと巻くは、一見反対に見えますが、動作としては、手がほぼ水平に旋回する(螺旋的に動く)のは同じです。外向きなのか(撒く)、内向きなのか(巻く)の違いです。
いま、か行を除いて、並べます。
開く、咲く、炊く、鳴く、吐く、撒く、焼く、沸く。
「咲く、鳴く、吐く」は「口」に関わる上に、蕾が開いたり、声を出したり、食べた物を出す、という「放出」的なところがあります。
このうち、炊く、焼く、沸く、は「燃焼」に関わります。(現代語ワクワクは心の燃焼の擬態語です)。現実的には、薪を焼いて、鍋物などを炊いたら、沸いてきます。(妬く、は心情的な燃焼です)
「燃焼」の行を除くと、こうなります。
一字一音学の基礎としては、あ列の「あかさたなはまやらわ」は「吾賀佐多奈派麻八良和」なのですが、動詞としては、多様化しました。
花は蕾を開かせる、と認識すれば、「咲く、割く、裂く」は視覚的にもほぼ同じ事象です。樹木が蕾を咲かせる、人が薪を割る、人が布を裂く。動的な主体の違いだけだということです。
「吐く、履く」と「撒く、巻く」は同じ次元での反対事象とみなします。
飽く、は「吾」が「空っぽ」になることです。(現代語「つまんない」→「詰まる」ものがない、つ、は点、心に押し寄せるものがない、から、心情として明きた、飽きた、状態)
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